Sunday, December 26, 2010

地上3階、地下1階に

12月24日(金曜日)

仕事場でパソコンを見ていたら、夕方にT先輩からメールが届く。

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地下案考えてみました。
 
それと、南側にEVがあって陽が入らないのがずっと気になっていたのです
地下化に伴い、レベルを下げることができるので南北を反転してみました。
(EVのオーバーヘッド確保のため、以前は斜線に当たっていました。)
4階の様子はよくなったと思うのですが、どうでしょうか。
 
ちょっと不確定要素としては、
地盤面の出し方と、地下の天井高さの1/3の出し方が、どう指導されるかです。
もしかすると、もう少し地下のレベルを下げなくてはならないかもしれません。
それから、共有玄関が1階とみなされないかが心配です。
 
それから、1~3階までの階段を以前のままにするために
地下のリビングダイニングには、ゆるい階段で降りることにしています。
将来昇降機をつけることもできると思ってそうしましたが、
やばりバリアフリーでないことが気になってます。
 
玄関も地下にすると、地下から1階までの階段が長すぎて
1階(ご両親の寝室とワークスペース)のプランを変更する必要があります。
 
とりいそぎ、送ります。
鈴木さんに明日図面を送りたいと思っているので、相談したいです。
あとでまた電話しますね。
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なんと、もう地下案が出来ている!驚異的なスピードだ。
図面の内容を見てみると、メールに書かれている通り、これまでのプランとの大きな変更は、少し全体を地下に沈めたという点だ。しかしこれに伴い、エレベーターのオーバーヘッドが斜線規制にかからなくなるので、プランの南北を完全に反転して、階段とエレベーターが北側に移動している。そして、問題だった階段が復活して、2,3階間の階段が2本に戻っている。

僕は、地下室というのはてっきり、天井高の3分の1以下が地上に出ている部屋のことだと定義されているのだろうと思っていたので、この程度の地下化(約1m)で今までの1階が地下室になるのだとは思っていなかった。T先輩も役所がどのように判断するのかまだ読みきれてはいないようだが。そういえば、O先輩の設計した自邸を観に行ったとき、実質4階建てなのだけど、玄関を2階に作って、そこを1階として見てもらうことによって、3階建てであると言う事にして防火区画の規制を逃れるという手段を取っていたのを思い出す。似たような手段なのだろうか。

気になる点といえば、すべて既にT先輩がメールに書かれている。玄関から地下に降りるときに階段が数段あり、バリアフリーではなくなっている点ぐらいだろう。それ以外は階段とエレベーターが北側に移動したことによって、採光の面では大きく改善されているのではないだろうか。

T先輩から電話がかかってきたのでお礼を言い、このプランで家族と相談してみることを約束する。

Friday, December 24, 2010

プランの変更、階段が!

22日、朝T先輩からメールが送られてくる。一通はプランを見なおしたというもの。もう一通は地盤調査の見積書を添付して送ってくださったもの。

このプランを見なおしたという中身が結構な問題を孕んでいる。今までのプランでは、1・2階間に階段が一本。これは共有。2,3階間に階段が二本。我々の世帯と両親世帯用のそれぞれ一本ずつ。そして3,4階間に階段が一本。これは我々世帯専用。という構成だったのだが、2,3階間の階段を一本にして共有にしなくては、子供室からの避難経路が階段を通って一旦居室を通り抜けて、また階段になるというので、アウトなのだ。ムムムム。これは痛い。

とりあえず、仕事を済ませて、ついでにプランを一枚プリントアウトして、夜の忘年会まで時間があるので家に寄って行くことにする。帰宅して妻にプランの説明をする。案の定、妻は3階まで階段を共有しなくてはならないこと、子供室と我々の寝室が完全に同じフロアで行き来が容易なことなどに拒絶感を示す。僕としては、子供たちとの距離感はさほど気にならないけれども、妻が嫌がるのはよく理解できる。僕はそれよりもむしろ、今までとても説得力のある工夫を凝らしたプランだと思っていたものが、階段を減らして廊下にしたとたんに、なんだかどうにも落ち着かないプランになってしまったのが残念でならない。急遽変更したのだから、これからまた煮詰めていけば良いプランになるとは思うのだけれども、このままの方向性を維持して手直しを重ねる形で発展させていくのが良いのか、方向性を切り替えるのが良いのか、大いに迷う。

禁断の一手かもしれないと思いつつ、地下室を利用するのはどうか、とT先輩に相談してみることにする。

以下のメールをT先輩に送る。

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昨日は長時間、あやふやな話にお付き合いくださってありがとうございました。

プラン、拝見しました。昨日から時間の無い中のあっという間の更新で驚きました。

急いで妻にも相談してみたのですが、ここまでの動線の共有になってくると、
ちょっと厳しいな、という反応です。

僕はもともと身内なので我慢出来ないことも無いのですが、
むしろ、階段の横に廊下がついてきたような形のプランに、スッキリとしないというか、
もう一つ、うまくいっていない様な感じがしてしまいます。
子供たちが直接玄関から個室にアクセスできるようになってしまったのも、
どうかな、という気がします。

先日、Tさんがちらっと仰っていたように、地下階を設けるのはどうかな、という話が
頭をよぎりました。コストのことを考えるとあり得ないのかな、と考えていたのですが、
厳しい延床の問題も、階段の問題も、だいぶ制約が緩くなるのではないかと思うのですが。
昨日、ちょっとお見せした予算で現実味のある話でしょうか...

ご連絡お待ちしています。
どうぞよろしくお願いします。

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年の瀬だというのに、大幅な方針変更となってしまう可能性が大きいのはとても心苦しい。しかし地下室を作る案を今検討してもらったほうが良いのではないかという判断だ。

メールを送ってからひと休みして忘年会に行く。

妻と一緒にopenvisionを訪れる

12月21日、openvisionで打合せ

午前中に市役所の人たちが来て、その後パルコで買い物をし、一度家に帰って昼食を済ませて代田橋のopenvisionへと向かう。2時の約束だったので1時半の電車に乗って行く。近いものだ。妻とopenvisionに行くのは初めてだ。インテリアの事例が載っている雑誌と、フローリングのサンプルを持参する。

A先輩がいたので妻を紹介する。T先輩がまず、地盤調査の見積書が送られてきたと言ってファックスを見せてくださる。費用は18万円くらいで、実際はもう少し安くなるかもしれないとのことだった。

次に修正されたプランを説明してくださる。キッチンがコの字型に変更されている。わずかながらキッチンの面積を削って、僕らの寝室の収納の面積を増やしてくれたのだ。カーンのフィッシャー邸のキッチンが、カーンの設計から変更されてフィッシャーさんの設計でコの字型になっており、これがとても使い良さそうだったと言って写真まで用意していてくださる。
やはり延べ床が厳しいので、どうやって面積を搾り出そうかという事を相談する。さすがにここまで来ると寸法も面積も、きちきちに詰まってきていて、どこも削るのが難しい。唯一ゆとりがありそうに見える、共有の玄関ホールを少し削って外部空間として、なんとか面積を搾り出すことにする。

妻は、寝室のタンスを処分したいと言い出す。僕はそれで全然構わないけれども、家具を作ることになったら高くなるんじゃないかなとやや不安。母が先日話していた、父と書斎も寝室も別々にするというのはどうだろうか、という事を今更とは思いながらも相談してみる。T先輩は、無理では無いけれども、そうすると完全に個室だらけの住宅になってしまって、コミニュケーションを図るスペースがほとんどなくなってしまうことを危惧しているとおっしゃる。今のプランだと、父と母の書斎が子供たちの通り道の脇にあるので、帰宅した子供たちが必ず顔を合わせるようになっているのだ。その点は確かに重要だと思うので、その線で母を説得しますと応える。

材料の話に移る前に、準備をしていた予算の話をする。費用リストをお見せして、分からない点などを聞いていく。解体費用は、近々建設会社から見積が上がってくるらしい。今のところ500万円を見積もっているけれども、かなり大きな額なのでもう少し小さくなることを期待している。肝心の建築工事費というのは、いわゆる坪単価で計算しているのだが、これに消費税が含まれるのか含まれないのかが分からない。5%というのはかなり大きな額なのでどうなのだろうか。T先輩は含まれないはずだとおっしゃる。だとすると今の我々の予算では坪単価95万円が上限という事になる。逆に、エレベーター設置費用や造り付け家具などは含まれるらしい。これらにかかる費用を300万円ほど見ていたので、これは削るか、建築工事費にプラスすることができそうだ。

確認申請・中間検査・完了検査の費用は、やはり民間に依頼すると高くつくらしい。役所だと4万5千円で済むところが15,6万円は必要になりそうだ。設計料は意匠・構造・設備設計とあるので14%くらいかなと思って見積もっていたのだけれど、T先輩はそんなにはいただけませんと言ってくださる。ありがたい、嬉しい、とても助かる。完全に丸投げ状態なのできちんとお支払いするつもりではいるのだけど。

続いてエコポイントの話や太陽熱利用の住宅に対する市の助成金について話をして、インテリアの材料の話に移る。持ってきた雑誌を見せながら、父と母の希望を伝え、材料と合わせて冷暖房の方法について話し合う。T先輩は輻射冷暖房機というのをお薦めしてくださる。確かにこれなら個室の多い我が家に適していそうだ。

1F床は石っぽいタイル、壁は珪藻土。2F床はコルクタイル、壁は板張り、天井に輻射冷暖房機。3F子供部屋は未定。子供たちに話を聞くということになる。我々の寝室、水回りの床はリノリウム、壁は塗装。なんとお風呂場はトイレと脱衣室と一体感を出さないと狭苦しくなるので在来工法でやろうという話になる。なのでタイルなどを使用することになる。4Fの床は色々と迷った挙句、無垢のフローリング。一応候補としてはオスモのフローリングを入れておく。マルホンのカタログにもノコメを残したフローリングがあったのだが、色が濃いものしか載っていなかったので保留とする。壁は、珪藻土にするか、漆喰にするか迷ったが、漆喰でも左官屋さんじゃなくても濡れるペイント式の物が安くできるというので、それに落ち着く。テラスは室内と高さを揃えられるということを優先してウッドデッキにすることにする。

2時から始めた打合せは終わったのが6時半。たっぷり4時間半も話しあって事務所を後にする。ぼくは疲れていたけれども助教の忘年会があったので、南大沢に向かう。参加者の少ないやや寂しい忘年会だった。

Friday, December 17, 2010

階段が減ったプランを父母に説明する

12月15日
会議と産業医面談を済ませて、早めに帰宅。夕食を済ませた後に2階に行き、父と母に構造設計の打合せを済ませたあとのプランを説明しに行く。

妻には前日に階段が一本になったことを説明して、うぇっという反応だったけれども、まあこれからのことを考えると、二世帯間の距離が縮まるのも悪くないかもしれない、とやや諦め気味にポジティブな反応をしてくれる。

父と母にもひと通り、東京都の安全条例のせいで、どうしても階段を一本減らさなくてはならないのだと説明する。母は、提案される設計に関してはもう文句を言うまいと考えているのか、構わないという反応。父は、内玄関を一度出ないと1階から2階に行かれないのが嫌だなという反応。この点に関しては仕方ないのだから諦めてもらうしかないのだが、嫌だという反応をされるのは辛い。父はさらに階段の勾配がキツイことに関して、非常に嫌そうだ。分度器を持ってきて、45度だという。45度はスキー場だったら恐ろしくて降りられないような急な勾配だという話もする。たしかに勾配がキツイことは分かっていたけれども面積を節約するためには仕方のないことなのだ。エレベーターを使ってくれとしか言えない。

玄関の靴を脱ぎ履きするスペースはどこにあるのか、と父が質問してくる。母がすかさず、土足なのだから靴の脱ぎ履きはしないのだと言う。父は、それは母の意見で自分は賛成していないなどと、今更言う。これまで打合せの度に土足前提で話をしてきたのだし、そういう図面を出していたのに、今更そんなことを言われても困るとしか言いようがない。まあ、無視するしかないな。

母が階段ホールを通して、音や熱が他の階へと広がってしまうのではないかと心配だと言う。それに関しては要相談だと思い、メモをする。

インテリアの材料にかんしてもイメージを伝えてほしいと言って、前の晩に妻と二人で見て気に入ったものに付箋を貼った雑誌や本を、同じようにやって欲しいと言って、おいてくる。父はリノリウムのような材料は嫌だと言い、母はリノリウムが良いという。父は書斎は無垢のフローリングが良いらしい。母は音のことを考えると2階にフローリングは避けたほうが良いのではと考えているらしい。1階はタイルも良いなと母が言えば父が嫌だと言う。まるで意見が噛み合わない。

冷暖房についても、予算が許せば輻射冷暖房が良いだろうという話をしておく。

予算について、改めて試算をしたものを見せる。母はなるべく節約して自己資金は温存する方が良いという。しかし、エレベーターを付けることや、収納家具等を作りつけることを考えると、建設費はそれほど絞れないのではないだろうかと思う。取り敢えず試算をT先輩に見せて相談してみようかと思う。母は将来に対する不安がかなりあるようだ。大丈夫なのか心配になる。

リョウはまだ学校に行かないらしいし、ノゾムは風邪を引いているらしいのだが、母に対してかなりひどい暴言を吐くらしい。その話を聞いただけで気が滅入る。我が家が抱えている問題はなかなか大きいのだと改めて思う。

父と母への説明を済ませて帰宅すると、妻が散歩から戻ってパソコンに向かいファームヴィルをやっている。ゲームばっかりしやがってと、むっとする。なんだか以前のリフォームの時のように、新しい家の設計に関して孤立しているように感じてしまう。みんなの幸せを願ってあれこれ考え苦労しているのに、なかなか本音を言わないというか、具体的に考える努力をしないで、相談すると文句だけを言う。こんなんじゃやってられない。T先輩と二人で相談してすべて決めてしまおうかとさえ思う。

むっとしていたら妻が少し反省したのか、インテリアについて考えてみると言ってくれる。

Wednesday, December 15, 2010

構造家Sさんと構造打合せ

12月14日。前日の市役所訪問、仕事、T先輩との打合せという連続に少し疲れてしまい、朝は寝坊する。昼前に家を出て、駅に行くと人身事故で電車が不通になっている。昼ごはんを下高井戸で食べようと考えて早めに家を出たのが良かった。待ち合わせの時間になんとかちょうど到着。T先輩に駅のパン屋さんで落ちあって世田谷線に乗り、三軒茶屋へ。
構造家のSさんの事務所は自宅と併設されていて、当然のことながら建築家による設計、ご自身による構造設計だそうで、広々とした前庭の奥にすっきりシンプルな二層の箱状の建物が建っている。
建物に向かって左側の一角が事務所になっていて、吹き抜けの空間に後から作りたしたというロフトが付いている。スタッフは4名。女性二名、男性二名いて忙しそうに働いている。若くて個人でやっている構造設計事務所ということだったので、思ったよりもスタッフの数がいるのでちょっと驚く。Sさんは僕よりも少し年長のようで、以前は佐々木睦朗さんの事務所で働かれていたらしい。

早速打合せ開始。まずはT先輩がプランをざっと説明する。1階からどのような構成になっていて、2世帯住居であることや、家族構成にいたるまで、そして現時点で一応想定している構造壁の位置、厚みなどをざっと話す。

続いてSさんが、間口方向の壁量が足りないことを指摘され、どの部分が構造壁として使えそうかということを図面に描き込みながら、相談していく。エレベーターシャフトの壁は、シャフト自体が空洞なのであんまり構造壁としては効いてこないとか、しかしながら庇をつけてスラブとつなげてあげると構造としても効いてくるとか。

今回のプランで考えるとすると、「壁式構造」となるらしい。耐震壁付きラーメン構造という形式もあり得るらしい。その場合、柱の厚みを300ミリ×450ミリくらいとり、壁はそのかわり150ミリ程度で済ませられるというやり方もあるとのこと。しかし驚いたことに、現時点の設計では250ミリを想定していた両側の構造壁は厚みが180ミリくらいで足りるらしい。これに仕上げや断熱の厚みが加わってくるけれども、思っていたよりも大分薄い。そのかわりと言ってはなんだが、間口方向の耐震壁の厚みは250ミリくらい欲しいらしい。これは結構設計に影響してきそうな厚みだ。そして壁は連続して900ミリの延長が欲しいとのこと。階高との関係から決まるのだろう。キッチンの勝手口的な開口部などは無くしてしまわないとならないかもしれない。

間口の開口部部分には梁が欲しいけれども、逆梁の扁平梁にしてじゃまにならないようにするという手段も教えてくださる。

最上階の切妻状になっている屋根に関しては、学会の指針だと、梁が欲しいし壁式だと厳しいかもしれないという話だったけれどもなんとか解決出来るかもしれないとかなんとか、、、その部分だけ鉄骨造にするもの予算は少し余計にかかるけれども、良いかもしれないとのお話だった。最上階の屋根部分だけ鉄骨造ということならば、構造適合性判定は必要ないのだそうだ。

床厚は、最低なら150ミリから170ミリ程度。分譲マンションだと200ミリから、音を気にする場合250ミリ程度。上下階、家族間の音の感じ方次第で決めれば良いとのこと。

地盤については、Sさんが事前に地盤調査会社から近隣データを入手していてくださって、2メートル程度の深さで良好な地盤面に到達するらしい。この場合、地盤調査はおよそ20万円程度。地盤改良にかかる費用は150万円程度との試算もしてくださる。後日、見積もりを取ってくれるとのこと。

基礎の形式に関しては、ピットを作る形式と、地盤改良を行う方法と両方があり得るけれども、コストはほとんど変わらないらしい。メリット・デメリットもあんまり無いらしく、地盤改良が順当じゃないですか、と仰っている。

細かい仕様に関わる点では、テラスの緑化はどの程度考えているのか(土の深さ)、バルコニーの防水の方法、お風呂場は在来式にするかユニットにするか、など荷重に関わる点を聞かれる。防水が可能なタケイというブランドのコンクリートについても話題になる。コンプラストというブランドもあるらしい、ということも話題にのぼる。

最後にスケジュールの話をして、道路拡幅の補償金の交渉に必要なので概算見積だけ急いで必要なのだという事を説明し、実際の工事、竣工予定は2年後であることを話す。Sさんいわく、建築はスパンが長いですね、とのこと。たしかに竣工予定までに3回もクリスマスが来るのだ。

帰る前にSさんの自宅兼事務所の写真をノートパソコンで見せてもらい、外に出て、外周を見せて頂く。とにかく敷地が広いなぁ。木造の建築なのだが、コーナーの柱は鉄骨のアングルの非常に細い部材で作られていて、すっきりしている。

たっぷり2時間半打合せをして帰途につく。帰宅すると5時半ごろ。ぐったり疲れる。しかしとても良い勉強になった。刺激的な時間だったと思う。

Monday, December 13, 2010

東京都安全条例のかべ

12月13日、仕事を済ませてからT先輩と駅前のスタバで打合せをする。
13日の午前中にまた民間の確認機関に協議に行ってくださったらしい。これまでは、共同住宅としてどうだろうか、という観点からチェックをしてくれていたのだが、今回は1戸建て住宅としての法的な問題をチェックしてもらったそうだ。
その結果、大きな問題が発生。両親世帯の1階と2階を結ぶ階段の降りきった地点から、敷地の外に出るまでの間が用途の生ずる部分とは、防火壁で区画されなくてはならないというのだ。要するに、今までキッチン脇に降りてきていた階段からリビングを通って玄関へ出る間に通路を確保できるように防火シャッターを設置しなくてはならないということらしい。
これに関してはさすがのT先輩もお手上げで、解決策としては2階から1階に降りる階段を一つにして、僕達の世帯と共用するしかないという。こちらの階段はエレベーターホールへと直接降りてくる階段なので避難の問題は生じない。ここまでの範囲を共用部分として捉えるしかないでしょうとのこと。しかたあるまい。
T先輩が気にしていたのは、2階の階段を登り切った地点から、僕達のフロアである3階のエレベーターホールがみえてしまうということ。3階と4階を行き来しているときに、1階と2階を行き来している人がいると、階段越しに目があってしまうのだ。これはもう、カーテンでも付けて解決するしかないだろう。それほど気にすることでもないように思う。しかしこの点は妻に聞いてみなくてはならない。
それから階段の登り始めの位置を反対にしてみることをT先輩が検討し始める。正直、階段の上下がぐちゃぐちゃになって混乱してしまい、なかなかT先輩がなにをどのように検討しているのかが分からずついて行けない。
階段の位置の付け替えに関しては、ひと通り検討してみたものの4階で無駄な空間ができてしまい、現在のプランの伸びやかさが損なわれてしまうので辞めることにする。
続けて、1,2階間の階段が一本減ったので、そのスペースをどのように使うかを検討する。廊下にする案も考えるが、結局トイレを少し広めに取り、エレベーターホールの側からはフィガロの足洗い場に使えるような流しを設置することにする。
僕達の玄関というか、下駄箱はどこにしようかと考える。エレベーターを使う場合、直接4階まで行くだろうし、階段の場合は3階にまず入るだろうから、二箇所に靴を脱ぎ履きする場所を作る必要ができてしまう。エレベーター脇にそのためのスペースを設ける。その分さらに3階の寝室の収納が減ってしまう。大丈夫かなぁ。。。
T先輩はどんどん図面に修正液で訂正を入れては、製図用のシャープペンで書きこんでいく。三角スケールを適宜使用して寸法を確認したり。改めて、さすがはプロと思う。打合せをしながらどんどん図面を作って行ってしまう。
たっぷり2時間半ほど打合せをしてスタバを出る。

家族でプランの打合せ

12月12日@月ビル

朝にT先輩からPDFで送られてきたプランをプリントアウトして、コンビニで拡大コピーして、一部を父に渡す。
夕食を済ませて9時頃から相談をしようということになる。

ひと通り、どのように前回からプランが変更されたのか、法律的に何が問題となったのかなどを説明する。

父も母も大まかな所ではもう問題ないのでは、という反応。唯一T先輩も問題だと話していた洗濯機の位置だけがなんとかならないだろうか、という議論になる。現時点のプランでは洗濯機が2階の水回りには置けなくて、一階の玄関の脇にあるのだ。エレベーターで洗濯物を運べば良いのかもしれないが、ちょっと不便だ。1階トイレの位置と交換するのはどうだろう、などと話をする。妻はワークスペースを削ってはどうだろうか?とか、その分減る2階の面積は4階を削って補填すれば良いのではなどと言っているがあんまりうまい解決策ではないように思う。

LAN配線やエアコンのことも父が気にしている。設備やさんとの相談もじきに必要になってくるだろう。母は2階の寝室前のバルコニーに関して、なくても良いとか、洗濯物を寝室で干すのはどうだろうかという話をする。外観の事を気にしているのだろうか?母がどうしてバルコニーに関してこだわっているのかが今ひとつよく分からない。

現在の月ビルと比較して面積が小さく見えるのはどうしてなのか、と父に聞かれ、現在の月ビルでは階段が外階段になっていて延床面積に含まれていないのが、今度の設計では内階段になって含まれる事になるのが大きいと説明する。エレベーターの面積も小さくはない。納得してもらえたが、図らずも父が今回のプランについて面積がきついのだと感じている事がよくわかった。

我々の寝室についても、ちょっと収納量が厳しいな、という話をする。妻は今使っているタンスがあまり好きではないらしく(嫁入り道具)重ねて使えないだろうか、とか買い換えてしまおうとか言っている。場合によっては予算が許すなら造り付けのクロゼットにしてしまうこともできないかなぁ、、、

などなど話をして帰る。ノゾムがなかなか言うことを聞かなかったり、部屋を散らかしたままだったり、ゲームばかりやっていたりと、甥っ子達の事について母が頭を痛めている事が強く感じられた。なんとか彼の力になってやれないだろうか。リョウも12月に入ってから学校に行っていないらしい。

市役所に相談に行くことも両親に話したのだが、母は病気のことなど色んな捉え方考え方の人がいるから話さない方がよいと言う。とにかく母達の世帯が孫の養育のために生活苦なのであるということと、2度の引越しや仮住まいの経済的・精神的負担を訴えて欲しいとの話だった。

妻と帰宅してから「嘆願書」を少し手直ししてプリントアウト。明日の市役所訪問に備えて、ねることにする。

Sunday, December 12, 2010

新しいプラン

12月12日、朝の10時過ぎにT先輩から新しいプランが送られてくる。最初は土曜日に、と言っていたのに日曜日の朝になったというのは、苦労されのだろう。もしかしたら昨晩は徹夜したのではないだろうか?

プランは先日の打合せで決めたように、一戸建ての住宅として設計されており、エレベーターと階段がコンパクトにまとめられて防火区画となっている。

色々な箇所がずいぶんとスッキリしてシンプルになってきたように感じる。特に4階はリビング、ダイニング、ワークスペースが広々としたワンルームになっていて、東西の両面にテラスがつくという、とても贅沢な空間になっていて感激する。子供部屋も広くはなっていないのだが、前の廊下に収納が取れるようになっていてかなり機能的になったように感じる。建築家って、人の夢をふくらませてくれることができて凄い職業だなあ、と今更ながら感心する。

今晩、このプランを持って両親達と相談。明日、市役所に行ってから仕事に行き、その後にT先輩と打合せの予定。両親たち、子供たちがこのプランを気に入ってくれると良いのだけれども。

エレベーターの種類

12月9日、Tさんと打合せ@openvision 

T先輩にお願いをして、週末に現在検討中の図面のデータを送ってもらったのに、結局このところ調子が悪くて週末は殆ど寝ていたので全くいじることが出来なかった。エレベーター周りの構成を変更して、図面を直しますということだったので、とにかくお任せすることにして、打合せに臨むことにする。

午前中は会議。昼ごはんを駅前のスタバで済ませて、代田橋のT先輩の事務所に向かう。2時から打合せの予定で、ちょうど良い時間に到着。コーヒーを入れて頂いて打合せ開始。

前回の打合せでは、エレベーターの扉一枚で住戸間を行き来できてしまうのでは共同住宅にならない、という難題が発生したということで、一応解決策も考えてくださってはいたけれども、プランの魅力が損なわれるのも事実で難しそうだという感触だった。

今回の最大の問題もエレベーター。共同住宅と定義される建築ではホームエレベーターという範疇に入るエレベーターは使用できないということが判明したのだ。ホームエレベーターではないエレベーターというのは、乗用エレベーターと呼ばれるらしい。問題は、乗用エレベーターになると、設置のコストが700万円以上、そして毎年必要なメンテナンス費用が40万円。これはなかなか厳しい。というか現実味が無いと言ってもいいように感じる。ここで、エレベーターを付ける場合は共同住宅にするという可能性はほとんどなくなったと思う。

では、ホームエレベーターにした場合はどのような問題があるかというと、共同住宅ではなくて一戸建ての住宅ということになるので、共用部分の延べ床面積からの除外という緩和規定が利用できなくなる。つまり、容積率ぴったりの面積までしか建てられないので、この前までのプランよりも少し面積を削らなくてはならないということだ。それと、四階建ての耐火建築物となるので、階段とエレベーターホールを防火区画としなくてはならない。けれども、これに関してはT先輩が防火区画となって防火扉をつけなくてはならない場合でも煙探知機のついた火災時に自動で閉まる防火扉というのを使用すれば、そんなに閉鎖的な空間にはならないで済むかもしれないと、解決策を提示してくださる。

その他、家具の配置や、4階のプランでリビングとダイニングの配置についてなど話し合う。ファサードについても少し話題になる。どうしてもエントランスの付近にエレベーターを配置しなくてはならないので、開口部のない大きな柱上のボリュームがファサードに出てきてしまうのが、どうにもならなくて困った感じ。

4時過ぎまで打合せをして、お別れ。クタクタになったので駅前のコンビニでアイスを買って食べる。

Tuesday, November 30, 2010

プランの打ち合わせ。11月29日@仕事場

朝から調子が悪くて家からなかなか出られず、T先輩を少し待たせてしまう。10時過ぎから仕事場で打ち合わせ。

まずはT先輩から市役所で指摘された問題について、図面を見ながら説明していただく。市役所で相談したときに民間の審査機関だったら違う見解があり得るかもしれないという話だったので、早速民間の建築サービス(?)という建築確認審査機関に聞きに行ってくださったとのこと。けれども同じような見解だったらしい。とにかく、エレベーターの扉一枚で住戸間が行き来できてしまうのでは共同住宅とみなせないということだそうだ。

そこで解決策としては、エレベーターホールを各階に設けて一旦ホールに出てから各階の部屋にアクセスするという形にするという説明を受ける。とにかく通常の共同住宅のように見えるプランの作り方にしないと、審査機関の人がこちらの言うように解釈をしてくれなさそうらしい。エレベーターホールからは外部に避難できるようなバルコニーを設けるとか、最上階のエレベーターホールからは屋上に出られるようにする、など工夫をT先輩が考えてくれる。

こちらからも父と母からの要望を伝える。しかし、エレベーターホールをつくることになって更に面積が厳しくなっているのに、書斎を広くしてほしいとか、子供室を広くしてほしいなどというのはなかなか忍びない。父と母の書斎のレイアウトもどうしたいのか、曖昧で矛盾しているような意見でなかなかどう伝えて良いのか苦しむ。もうちょっと意見を集約しておけば良かった。父と母と話を聞いたときは、長引いてしまって夜中の10時頃になっていたので疲れて早く終わらせたかったので結論はうやむやにしてしまったのだが、そういう点はやはり後でつけが来るな、と思う。

プランの話を済ませてからスケジュールについて話し合う。12月上旬に市役所から補償の概算額が提示され、1月15日に正式な金額が提示され、2月一杯で契約という流れを再度説明する。1月の15日を目標に建設会社から概算見積を出してもらうことにすると、年末には図面を渡して見積もりを依頼しなくてはならない。その前に構造の人と打ち合わせをして構造を決めなくてはならない。市役所から補償の概算額が提示されて、RCはとても無理だという話になることもあり得るので、概算額の提示がいつになるのかを早く知りたい、ということになる。

打ち合わせを終えて仕事場のレストランで昼食・歓談。

Monday, November 29, 2010

T先輩からのメール

概算見積を依頼する会社について、こちらから家族で相談した結果だれもよく分からないということだったので、僕がホームページを見た範囲での印象から佐藤秀ではなくTH-1が良いだろうという返事を送る。サイトのデザインが良かったのと、職人さんの写っている現場写真が公開されていて、仕事に誇りを持っているように感じられたからだ。
T先輩からメールの返事がくる。佐藤秀の営業の人と話をしたら、やはり会社が大きくて経費が嵩むので坪単価100万を切るのは難しいという話だったらしい。ま、先方から断って来たということだろう。まるで無理な話だし、こちらとしてもTH-1の方が好感を持ったので、TH-1で概算見積を出してもらうことにする。
そして、T先輩がすでに市役所の建築審査課に行ってプランを見せて相談してきたとのこと。そしたら問題が発生したという事がメールに書かれている。
今回の住宅の設計は今のところ、一戸の住宅ではなく、共同住宅として設計することによって4階建てだけれども階段室を防火区画としなくてもすむようにという形で進んでいるのだが、役所の人がプランを見て、エレベーターの扉一枚でお互いの住居に行かれてしまうのでは、一住戸としてみなさざるをえないという見解を述べたのだ。
そうなると4階建ての耐火建築になるので階段室が防火扉で区画されなくてはならなくなってしまい、フロアごとの空間のつながりが途切れてしまうことになる。各階にエレベーターホールを作って、なんとか共同住宅として見てもらえるように設計変更する必要があるとのことだった。
メールの文面ではよく分からないので月曜日に仕事場で打ち合わせをすることになる。

Monday, November 22, 2010

11月20日プレゼン@月ビル

予定通り20日土曜日にT先輩が月ビルに来てプレゼンをする。前の晩にメールがあり、火曜日の打ち合わせの後、寸法や法規のチェックをしたら少しプランが変わったけど、との話。どのようになったのだろうか、とても楽しみ。
朝の散歩が長くなってしまったので慌てて支度をしてT先輩を出迎え、朝10時から両親世帯のダイニングで打ち合わせを開始する。
なんと階段部分が分かりにくいだろうと、模型を作ってきてくださる。

T先輩と打ち合わせ@蛯沢コーヒー・第二案

朝市役所の人たちが来た同じ日の夕方18時半から妻と僕とT先輩で妻の要望通り玄関ホールの共有をなくしたプランのプレゼン前の打ち合わせをする。妻は調子が悪いと言って寝込んでいるので後から来てもらうことにして、調布駅の改札でT先輩と落ち合い、ネットで調べた東口の真ん前にある蛯沢コーヒー店というお店に入る。
コーヒーを飲んでプランの説明をうけながら妻が来るのを待ち、20分ほど遅れて妻が到着。もう一度プランを説明してもらう。
前回同様、1,2階と3階の半分までが両親世帯。3階の残りの半分と4回が僕達の世帯となっていて階段とエレベーターで移動する形になっている。
今回の第二案では、階段が二重になっていて両親世帯と僕達の世帯が共有しない形になっている。共用玄関を入るとエレベーターホールがあり、そこからすぐに階段を登れるようになっていて、リビングを通過しなくても良い。
そしてスタディルームはなくなり、子供たちは寝室に勉強机を置くようになり、父と母の書斎コーナーが作られている。
4階の僕達のスペースもほぼワンルームになっており、天井が高く取れるのでかなり広がりが感じられる空間になっている。第一案で狭いなと感じていたのがかなり解消されていて素直に嬉しい。
打ち合わせを終えてから同じ店でみんなでカレーライスを注文し、食べながら談笑。T先輩がかつてバレーボール部だったことや、阪神淡路の震災復興ボランティアに40日間も参加していたことなど、おはなしを聞く。思っていたよりもアクティブでアグレッシブな性格なんだな、と思わされる。妻は親友で建築家のMちゃんと印象がとても似ていて、好感を持っている様子。うまく物事が進んでいて、ホッとして帰途につく。
唯一気になっているのは、僕自身があん作りを何も出来ていないということ。T先輩、すごすぎる。条件をまとめて案を作る力が半端じゃない。とても太刀打ちできないな~

T先輩とメールのやりとり

色々と第一案に関しては、こちらの要望と合致しない点があるので早めにT先輩にお知らせした方がよいと思い、、、思いながらもこちらが要望を最初にきちんと整理していなかったのが悪いような気もして、連絡が遅れてしまったのだけど、金曜日の夜に気をとりなおしてメールをする。
メールの内容は、大きく2点。共有玄関ホール的な作り方ではちょっと息苦しいので、もう少し世帯ごとに独立した作りにしてほしいということ。それから両親世帯のスタディルーム形式にするのは不満が出るだろうということ。どちらも計画の根本を変えてしまうので、設計を一からやり直さなくてはならない。

T先輩にメールをすると翌日に返事がきて、意見を聞くためのたたき台の案として役に立って良かったと温かいお言葉。20日(土曜日)に月ビルでプレゼンをする前に、仕事場で打ち合わせをしましょうと言う事になる。

Friday, November 12, 2010

第一案についての相談

Tさんに作って頂いたプランを持ち帰って妻と相談。
なによりも、玄関を完全共有にするということについて妻が受け入れられるかというのが大問題だ。
案の定、玄関に関しては「これは息苦しい」との意見。まあ、仕方ないだろうな。本音を言ってくれてありがたい。
スタディルームについても、今の父母達世帯の状況を見るとちょっと難しいだろうという意見。これも確かに...
我々の世帯については、やはりちょっと狭いなぁ、という意見。テラスがあるぶん広がりは感じられると思うと説明するが、収納が厳しそうという、主婦的な目も。ま、今住んでいるスペースよりも小さくなるから、物をしまうのが今よりも難しくなりそうだなぁ。散らかるだろうなあ。リビングとダイニングが離れているのもお客さんを呼ぶときにちょっと不便かなぁ。
などなど、色々と不満が出てきてしまった。まとめてTさんに連絡しなくては。とにかく玄関共有がNGだということはかなり重要。設計の根幹に関わる。

まだ、設計が始まったばかりだし、希望する条件もはっきりと伝わっていない状況なので、どうしても手戻りは仕方ないと思う。気にせず、根気よく要望を伝えて、シッカリ考えてもらおう。

第一案

月曜日のお昼の時間に仕事場でTさんと打ち合わせをする。
ラフな案だけどと断りながらも、細かく描き込まれたプランを二種類持ってきてくださる。

今回のプランの幾つかの設計の前提を抑えると、

1.共同住宅とはしないで一戸の住宅とする。
共同住宅とすると共用の階段及び廊下部分を防火区画しなくてはならなくなり、鉄扉等の建具で仕切らなくてはならなくなる。そうすると空間が途切れてしまい、広がりが感じられなくなる。
容積率の緩和規定を使って共有部分をふかして設計した場合、法律には適合しても建設コストが膨らんでしまう。

2.抜け道的な設計らしいのだが、木造の階段を敢えて部分的に使うことによって建物全体を耐火建築ではなくて準耐火建築と位置づける。それによって階段周りの竪穴を区画しなくて済むようにする、という方法があるらしい。

これをふまえて、延べ床面積が180㎡未満になるように色々な工夫をして設計がされている。特徴としては、

a.完全に二世帯で玄関を共用する。
b.玄関というよりは、広めのホールのような形になっており、玄関ホール兼共有リビングルームという形になっている。
c.エレベーターを設置することによって、二階に父母の寝室及び風呂周りをもって行く。
d.寝室は個別に設けるが勉強部屋は4人で共用するという、スタディルームの提案。
e.完全な4階建て

などなど。

特に一階のエントランスホールがリビングと兼用になっていて、外部に対してもかなりオープンな作りになっているのは「アジア的」と言ってもよいようなデザイン。Tさんが先日旅行してきたベトナムの家の作りに影響を受けたという話がとてもよくわかる。
大家族がエントランス周りの通りに面したリビングで団欒している姿はアジアの都市住宅を想起させて魅力的に感じる。

色々な工夫が見られるが、一目見て感じるのは当たり前だけれども僕が自分で検討していた案よりも狭いということ。部分部分の寸法の取り方にはやはりプロらしくちゃんとゆとりが取られているので、ここから更に空間を搾り出して、大きめの空間を作ることは可能かもしれないけれども、どの部屋も小ぶりに作られているという印象は否めない。延床面積を約20㎡削って、更にエレベーターを設置しているので、どうしても面積的に厳しくなるのは仕方ないだろうが。


予算と広さという現実を突きつけられたようで、少々意気消沈してしまう。まあ、リアリティとの直面というのは家づくりには必要なステップだろうと思うけど。

Monday, October 25, 2010

第一回目顔合わせ@月ビル

日曜日の午後に建築家のTさんに御来宅していただき、施主となる我が家の面々に会っていただく。3時の約束だったのに、慌てて部屋の掃除をしていたら気づかないうちに3時になってしまっていて、大慌てでTさんを迎えに出ることになってしまった。

まずは両親たちの住む2階に上がっていただき、簡単に自己紹介していただいた後に、ポートフォリオを見せて頂く。「のびしろを持つ家」、「見守る家」、「規格住宅プロトタイプ」、骨コレクターさんの家など、数件を説明してもらう。的確で簡潔な説明に、さすがはプロだと感心させられる。作品に共通しているのは、簡潔に作って、可変要素を配置することで、場面や将来の家族の変化に対応できるようにしつらえるというやり方だろう。どれも派手さはないけれど、住み手のことをよく考えて練られた設計になっていると思う。

フォリオを見終わったところで母がお茶を入れてくれ、お茶を飲みながら設計のスケジュールの説明をして頂く。今すぐ設計を開始し、基本設計、実施設計を通常の期間で行っても、仮住まい期間を最短にすると考えると、更地化できるのは平成24年の2月末ということになる。というわけで、平成23年の12月末までに更地化をするという期限が付く今年度予算での保証契約という話はないだろうと言う結論になる。

建設費関連も説明してもらうが、思ったよりもコストが嵩む。5千万~6千万くらいが建築工事費だけで必要になりそうだ。やっぱり鉄骨造かな~。補償金をしっかりもらわないとかなり厳しいな。

グーグルドキュメントを使って家族で共有している新築への希望・要望をまとめたシートを現時点でお渡しすることにして、Tさんに見て頂く。目を通しながらTさんが話をふくらませて、こんな事ができたら良いですね、ということ幾つか雑談的にはなしをする。

更に僕が作成していたプランを父と母に見せて話をする。Tさんのお話だと、RCの壁式構造だともう少し壁厚が必要になりそうだということと、共有部分の廊下は共同住宅の場合120cmの幅員が必要になる場合がある、ということでプランの変更が必要かもしれないらしい。

続いて、現在の月ビルの状況を見てもらう。まずは2階。そして3階。父の手作りの家具やソリウッドの家具、ジョージナカシマの椅子などの写真を撮ってもらう。Tさんはニューヨークにあるナカシマの記念館にサリーさんに連れられて行った事があるらしい。羨ましい。話も通じて、父母が無垢の家具が好きだということをよくわかってもらえたと思う。

そして一階。ひとつづきの部屋を見て広いと言ってくださる。一通り見て、写真を撮って、雑談して終わり。

もう一度、二階に戻って今後の進め方を軽く話しあう。僕とはちょくちょく会えそう。次は1ヶ月後くらいにラフな設計をして模型を作ってプレゼンに来ようということになる。僕は今のところプランを考えるのに少々疲れてしまったので、Tさんにまずは案を作って頂きたいと思う。近々に家具の寸法を測ってお渡しすることにする。

いやー、どんなプランが出てくるか、ドキドキだなぁ。

Friday, October 22, 2010

ホッとする条例について聞く

用地課に続けて、Tさんと都市計画課に行き(同じ階で打ち合わせ机の真ん前)、正式名称、調布市ほっとするふるさとをはぐくむまちづくり条例のことを聞く。


適用対象となった場合に計画上気をつけなくてはならない点は何かを説明してもらう。要点は;
・隣地から50センチメートル以上離れて建てること


・駐輪場の確保→必要に応じてということなのであんまり関係ないかなぁ。


・駐車場の確保!!!戸数の1/3の駐車台数が必要だとか。そして端数は切り上げ。
でもこれに関しては、二世帯住居のような場合は該当しないですよっと窓口で説明してくれた兄ちゃんがちょっと考えてから言い切りよった。いやまじで、これって計画にむちゃくちゃ影響するから、その判断の根拠を教えてくれよ!Tさんもこの対応にはビックリ。慌ててその判断根拠はどこかに書かれているのか、口約束で大丈夫と言われても困る、と食い下がる。兄ちゃんの説明によると、「隔地駐車」という逃げ道もある(要するに駐車場を借りるということ)。計画の大幅変更がやむを得なくなるような状況で無理やり市役所が駐車場を設けなさいというようなことは言えないとのことだった。敷地に余裕がある場合や大規模な集合住宅の場合とは違うだろうということ。
共有部分を容積算定から除外するために確認申請を共同住宅で出した場合、自動的に集合住宅扱いになって、これらの規定がすべて適用されるのではないか。兄ちゃんは大丈夫だと言うけれども一抹の不安が残る。


・ゴミ置き場の設置→これも二世帯だったら不要とのこと。一応ごみ対策課のイトウさんに電話して聞いてみてくださいとのこと。


・緑化。建物を建てた残置の40%を緑化しろという規則があるらしい。これも緩い規定ですよだって。


・手続きの流れ→要するに確認申請を出す前に2ヶ月必要らしい。これはかなり設計期間を圧縮することになりそう。毎月第三火曜日に連絡協議会があって、それに先立つ前の月末までに相談カードを提出すると、協議会の後2,3週間で関係各課が検討、それから更に2週間くらいで協定締結になって確認申請が出せるらしい。


・近隣への説明会あるいは個別説明、というのも必要らしい。建物の高さを半径にして敷地境界線から測った範囲に入る土地の持ち主に説明をして回らなくてはならないのだそうな。うちの場合6件くらいかな。


終わってからTさんと喫茶店で打ち合わせ。設計の工程表を作ってきてくださったのでそれを拝見。保証金の概算額提示から構造を決めて、という流れだと基本設計期間がかなり厳しいことになりそう。やっぱり今年度予算で保証契約をするのはちと無理だな、という結論になる。ホッとする条例も時間を食うし。


僕が考えたラフなプランについても少し話をする。ひどい図面なので恥ずかしかったけれども、真面目に見てくれていてとても嬉しい。共同住宅にして共用部分を容積から除外するということと、四層になるということ、この二つのせいでホッとする条例が適用されてしまうので、欲張り過ぎかな、手間をかけることになり過ぎるかなと恐縮していたのだけど、Tさんは四層にして空間にゆとりを持たせるのは良さそうなアイディアだと言ってくださる。ま、予算の問題がどうなるか心配だけど。


最近の工事単価などについて話して、帰路に着く。

Wednesday, October 20, 2010

魚長さん更地になる。ウワサ・ウワサ


2件となりの魚長さんの建物が一週間ほどかかって取り壊され、更地になった。
近所の噂によると魚長さんは、この土地を売り払って近所のマンションに越されたとのこと。住んでらした御夫婦はそこそこの御高齢だったし、旦那さんは病気もおありだったようなので、自然な選択なのだろうなと思う。

そして噂によると、買ったのは駅前広場になる土地で営業されていた歯医者さんらしい。こちらに移って来て歯医者さんをされるらしい。歯医者かぁ、、、もっと違う種類のお店が良かったなぁ。などと勝手なことをちょっと思う。

間口、奥行ともに我が家と同じくらいの敷地ではないだろうか。この土地に移ってくる歯医者さんがもう一件建てているという近所の建物はヘーベルハウスなので、この土地の建物もヘーベルになる可能性が高い。どんな設計なのか、何か我が家にも参考になることはあるだろうか。ヘーベルで3階建てだったら基礎はどんな感じになるのか、地盤の事など少し参考になるかもしれない。

ウワサによると、地元の文化財と言っても過言ではない、いもせんさんも今年度ようやく、補償契約を結んだとのこと。となると来年の12月までに更地になってしまう。写真を撮っておかなくては。設計したいなぁ、、、

市役所の人が、ここの道路拡幅事業はやや遅れ気味だけれども、市は来年度・再来年度本腰を入れて道路を完成させるつもりでいる、予算も付く、というような話をしていたので、それが本当ならばこれから短い期間でバタバタっと建物が建て替わって、景色も一変するのだろうな。

Monday, October 18, 2010

ほっとする条例?

「調布市ほっとするふるさとをはぐくむ街づくり条例」となにやら長い名前の条例があったことを思い出して、市のホームページをチェックしてみた。


(3)高さが10mを超える建築物の建築(一戸建ての住宅を除く)
(4)階数が地上4階建て以上の建築物の建築


って、今ぼくがチョコチョコ手を動かしているプランは思いっきり該当してしまうじゃないか。


で、この条例が適用の対象となる場合


開発事業者は,周辺住民の私生活を侵すことのないように,次の各号に掲げる措置を講ずるものとする。
(1) 隣地境界線から建築物の外壁までの水平距離を50センチメートル以上とすること。
(2) 屋外階段及び開放廊下等は,防音上有効な措置を施すこと。
(3) 玄関等のドアについては,開閉時の衝撃音を和らげる措置を施すこと。
(4) 窓及び開放廊下等は,目隠しを施す等の措置を講ずること。
(5) 高架水槽,揚水ポンプ,冷暖房機等を屋外に設置する場合は,隣地との距離等を考慮すると
ともに,囲いを設けるなど,防音及び防振に対する措置を施すこと。


だそうな。


うちの土地は近隣商業地域だから、近所もみんな隣地境界線から50cmなんて離れて建っていないのに。
間口が狭いから、隣地境界線から50cmというのはけっこう厳しい。


やっぱり高さ10m超え、一部4階、共同住宅っていうプランは欲張りすぎなのかなぁ。


近隣への説明会もひらかなくちゃならないし、工程に大きく関わってきそうだな。

Friday, October 15, 2010

なんだか急な展開その2

一昨日、母から連絡があり、翌日に市役所の人が用地・建物の補償について相談をしにくると言われたとのこと。なんだか急な話だ。僕も妻も家にはいないので、母と父がとりあえず対応することになった。

これからT先輩の事務所を訪問しようという、少し前に母に電話をしてどのようなことが市役所の人から言われたのかを聞いた。

驚いたことに、先日の話しでは、市の今年度の予算は底をついているので、我が家の用地・建物補償は来年度になりますよ、という話だったのに、なんと市の予算と東京都の補助金を整理してみると、我が家一軒分くらいの補償ならなんとか捻出できるだろうというのだ。

もし今年度の予算でお願いすることになった場合は、今後どのようなスケジュールで事が進むのかという話もあったという。それによると、来年の2月頃に金額の提示と契約の締結。3月中に道路用地部分の土地代金の支払いと、建物保証金の一部を支払い。そして来年度の4月から12月末までに道路部分を更地にして明け渡すという流れになるらしい。

となると、来年の12月までに設計をすべて終わらせて着工の出来るところまで進んでいる必要がある。11月から設計を始めたとしてちょうど丸一年。T先輩の話だと、通常9ヶ月で設計は終わるという話なので無理ではないけれども、、、

そしてさらに驚きなのが、補助金の申請を10月以内にしなくてはならないので、来週中にこの話に乗るか乗らないか、返事をして欲しいというのだ。あまりにもせわしない。

夕食を食べた後、話を聞いた両親からもう一度説明をしてもらう。父は慎重な様子。子供部屋が狭くて年中喧嘩をしているのを見ている母は、少しでも早く新築を、とやや前のめりな感じ。ぼくもT先輩の話を聞いたあとだったので、場合によっては今年度という話もありかな、という気持ちになっている。

この通りの並びでかなり早くに新築までこぎつけられるというのは、他の住民の方達に対してもアピールするのではないか、などと考えてしまう。

その後、家に戻って、物事の急展開に頭がのぼせている感じがしたので、実家に帰っている妻に電話をして頭の整理と沈静化をしようと思う。

一通りのことを漏れがないように文章にして妻にメールをし、読み終わってから電話をくれるようにお願いする。

結論から言うと、僕はちょっと心配なくらい前のめりになっているので気をつけろ、時間に少しでもゆとりがあった方が今病み上がりで復職を前にしている僕と妻にとってはありがたいのではないか、だから今年度という話は断って、予定通り来年度の予算で補償してもらえば良いのではないか、というところに落ち着いた。

まあ、そうだよなあ...

病み上がりで、復職してからもしばらくの間、職務軽減をしてもらうのに、空いた時間を自宅の設計に費やして疲労困憊するなんて、ちょっと話にならない。妻も母親の看病があるし、体調も万全とは全く言えない状態だし、やはり復職を控えている身で肉体的・精神的にゆとりがない。ここははやる気持ちを抑えて、スローペースで行くべきだろうな。

最初の顔合わせ

昨日の午後、代田橋にあるT先輩の事務所にお邪魔してきた。代田橋の駅は新宿からすぐなのに、こじんまりしていて、駅前の浄水場(?)もなかなか風情のある建物+構内。緑の豊富な場所だ。神社の社務所の二階にあるこの事務所はT先輩の設計。道路側のファサードはとても控えめな表情だ。

T先輩に会うのは久しぶり。全然変わっていない。そして驚いたことに同じ事務所のスペースに大学の研究室のOBであるA先輩もいらっしゃった。つい世間話をして時間を費やしてしまった。その間にT先輩が先日旅行していたベトナムのおみやげであるベトナムコーヒーを淹れてくださった。スキムミルクを入れて甘くて香りのあるコーヒーを飲みながら、相談というか設計の依頼の件をお話した。

僕自身も設計はするのだが、いかんせん病み上がりで、仕事とは別に自宅の設計をするなどという余裕はちょっと今は無い。そこで設計はできるだけやりたいけど、責任の伴なう仕事はT先輩にお願いしたいという虫の良い話をする。要するに、結構専門的知識があって細かいことまでうるさく口を出す厄介な施主というような形だ。T先輩は快諾して下さり、できるだけ共同設計という形にしましょうと言ってくださる。ありがたい限りだ。

その他、設計の標準的な流れ、必要な期間などを説明してもらい、こちらからも今分かっている道路拡幅に伴なう用地・建物の補償のはなしをする。T先輩の話では9ヶ月あれば着工まで辿りつけるということだったが、こちらとしては、出来る限りゆとりをもって進めたいなと思う。

T先輩に設計を依頼したいと考えた理由も御説明する。設計を依頼する理由というのは、どのような役割を期待しているのかということと表裏一体なので、とても大事だろうと思う。今後徐々に肉付け出来ればと思う。

T先輩はとにかく、設計の具体的な話に入る前に、施主となる僕の家族にお会いして、お見合いというか、この人なら設計を安心して任せることができると感じてもらうのが一番大事だとおっしゃり、まずはそのお見合いの日取りの候補を決めることにする。

雑談も含めて一通りのことを話したら、予定していた時間をかなり超過してしまった。2時間以上話していたのではないだろうか。

帰る前に先輩の設計された社務所+事務所の建物をぐるっと回って紹介して頂く。道路と反対側に神社の境内があり、こじんまりした広場がある。こちら側から見ると、この建物と広場の関係がとても心地良い。ぜひ社務所が広場に向かって開いて使われているところを見てみたい。道路に向かって下がる形の片流れの屋根のせいで、境内側から見ると建物のボリュームは意外と大きい。二階にある事務所の大きな窓に境内の樹木が映り込んで伸びやかに感じられる。

後から先輩のかつて働いていた難波先生の事務所の「箱の家」シリーズの写真を見て、先輩の事務所の佇まいと共通するものを感じた。学生の頃は生粋のコルビュジエアンだった先輩からすると、ディテールの線が綺麗で、難波事務所の影響を強く受けたのだろうなと思う。

Wednesday, October 13, 2010

T先輩への相談の連絡

昨日、遂に建築家であるT先輩にこのようなメールを送った。まだ返事はないけれども、近いうちにお会いして相談できると思う。
これまではまだ家族の中でしかほとんど話していなかったけど、第三者に正式に相談をすることになって、また一歩新居に向けて歩みを進めたのだと実感する。


**************


T様

先程はご連絡ありがとうございました。
今週の木曜日の午後は事務所にいらっしゃいますか?
もしお時間があるようでしたら、小一時間ほどお邪魔したいのですが。

で、相談の内容なのですが、、、

実は現在僕と妻と、父と母と甥っ子二人、犬一匹で暮らしている家が、
近々、前面道路の拡幅に伴って建て替えなくてはならなくなりそうなのです。

出来れば僕が自分で設計したいのですが、病み上がりということもあるし、
経験もないのでとても無理だと思うのです。

不確定な要素がまだ多すぎて、あやふやな話なのですが、
僕個人としては(まだ妻にしか相談はしていません)、Tさんに力を貸して欲しいと
考えています。

今週の木曜日はちょうど午前中、新宿に行く予定なので、伺えたらと思ったのですが、
他の日でも僕は基本的に暇なので、もし木曜日事務所にいらっしゃらないようでしたら
ご都合の良い時間をお知らせ下さい。

どうぞよろしくお願いします。

K

Thursday, October 7, 2010

四番目の家・東京天文台官舎7号

三鷹大沢アパートの後に住んだのは、父の働く東京天文台(現在は国立天文台)の官舎だった。大沢アパートのすぐ崖を登ったところである。幼稚園にはここから通ったし、同じ並びに同年代の友達が3人もいたのでここで暮らした日々は良く覚えている。
庭には父が作った池があり、裏には竹林があった。初めて犬を飼い始めたのもこの家に住むようになってからだ。庭付きの家に住むと犬を飼いたくなるものなのだろうか、友達の家でも同じように雑種の捨て犬をもらってきて飼っていた。
家にまつわることは色々と覚えているのだが、残念ながら家の間取りがどうしても思い出せない。アメリカから持ち帰った絨毯とカーテンが使われていたらしいことは分かるのだけれども。写真も今のところ見つからない。それほど大きな家ではなかったように思う。
とにかく天文台の構内というだけあって、自然が豊かだった。管理がおおらかだったのだろうが、家の前の空き地でヤギを飼っている人もいて、山羊乳を分けてもらったことがある。子供にとっては遊び場が無限にあるような場所で、放って置かれると友達と何時までも草むらの中や森の中で遊んでいた。
この家の建っていた場所を最近訪れたことはないけれど、天文台が構内に官舎を持つことを止めることになり、だいぶ前に取り壊されて更地になったと聞いた。ネットの地図で航空写真を見ると、木が茂って小さな森のようになっている。家の前の道路だけが残っている。

Wednesday, October 6, 2010

魚長さん、取り壊し

今日から、隣の隣に建つ元魚屋さんの魚長さんが取り壊しを始めた。旦那さんの健康状態があまり良くないらしく、そのことを勘案して先に土地の買収などが進んだためらしい。魚長さんは、僕が西調布に引越してきたとき、既に閉店されていて、ずーっとシャッターが降りたままのお店だった。我が家と魚長さんの間の昇文堂さんが建て替えるときに、旦那さんと初めてお会いして、少しお話をしたのを覚えている。「最近じゃ魚を売る商売なんてのは採算がとれないんだよ。」とこぼしていたのが印象的だった。木造二階建ての建物の正面には紺色のタイルが貼られた大きな壁があり、金色の文字で「魚長」と書かれている、昔ながらの商店の店構えだ。古くからある建物が取り壊されていくのが寂しく感じられるのと同時に、いよいよ、この通りにも道路拡幅事業の波が押し寄せてくるのだという、期待のような不安のような複雑な感慨を覚える。今日も仕事場で少し新居について設計を考えた。

Monday, October 4, 2010

三番目の家・帰国して大沢アパートに戻る

おそらくとても短い期間だったからだと思うが、アメリカから帰国して生まれたときに住んでいた三鷹大沢アパートに戻った時のことは、まったく記憶にない。写真も見たことがない。
幼少期の記憶というものは、やはり記録や両親からの伝聞によって補強されて初めて構成され保持され得るのだろう。幼少時代の記憶がとても鮮明な妻にいつも笑われるが、大学を卒業する頃までほとんど引越しらしい引越しをせずに暮らしてきた彼女は、場所と記憶の結びつきが僕とは比較にならないほどシッカリとしている。成長の過程で同じ場所を訪れ、その都度過去の思い出を上書き更新してきたからではないだろうか。

両親にとっても、アメリカの贅沢な生活から帰国して、日本の最小限住宅のようなアパートに住むのは楽しい思い出ではなかったのかもしれない。

Saturday, October 2, 2010

二番目の家・225 Walden Streetのアパート(Boston)

 二番目に住んだ家は、アメリカのボストンにあるアパートだった。数年住んだけれども、それほど記憶はない。アパートと呼ばれていたけれども、日本語で言うならマンション。外壁がレンガで、大きなプールがあったのを覚えている。


キッチンの排水口にはディスポーザーが付いていて、洗濯物を地下のランドリー室に落とすシューターがあったらしいので、当時の日本では考えられないくらい設備は充実していたのだと思う。きっと父も母もかなりのカルチャーショックを受けたのではないだろうか。当時は1ドル350円時代でアメリカの物質的繁栄は輝かしいものがあっただろう。
室内には毛の長い絨毯が敷かれていてた。蛇腹状で伸ばすとトンネルになる子供用のおもちゃを使って遊んだ記憶があるので、結構広い家だったのではないかと思う。
写真は数年前に現地を訪れて撮ったものだけれど、子供心に大きなビルだと思っていたアパートは、大人になった目から見てもなかなか大きくて立派だ。


写真を見て、不思議に感じるのは、マンションなのにベランダが無いこと。洗濯物を干すという習慣がないのだから当然だけれども。それに僕が30年以上前に住んでいた建物なのに、外壁が驚くほどきれいだ。こうやって今でも、全く荒廃した様子もなく使われ続けているのを見ると、間取りなどにもゆとりのある設計が施されていたのだろう。

Friday, October 1, 2010

最初の家・三鷹大沢アパート

これまでに住んできた家についてメモ的に書き残しておこうと思う。


僕が生まれて初めて住んだ家は、三鷹市大沢、野川沿いの都営住宅である。1歳になる頃に、父の仕事でアメリカに住むことになったので、この都営アパートの記憶は全くない。今思えば、団地が輝かしい文化であった時代ではないだろうか。
お風呂の水を溢れさせて階下の住民に怒られたというエピソードを母から聞いたことがあるので、お風呂もあったわけだ。今でも都営三鷹大沢アパート27号という建物が残っているので、27号という名前から想像すると、きっと新しい鉄筋コンクリート造のアパートがたくさん立ち並んでいたのだろう。中央線からも京王線からも遠く離れた陸の孤島のようなところに大規模な団地を作ったのは、モータリーゼーションを素朴に信じていたからなのだろうか。
団塊の世代である両親の子供、つまり団塊ジュニアとして公共機関によって大量供給されたアパートが最初に住んだ家というのは、世代的に考えるととてもティピカルな経験だろうと思う。

Thursday, September 30, 2010

急展開

昨日、市役所の用地課のYさんに電話をして、父が脊椎狭窄で階段の上り降りが困難なのでリフォームが必要なのだけれども、出来れば建て替えのタイミングとあわせて解決したい、できるだけ早く建て替えを出来るようにして欲しい、という要望を伝えた。その場では、「そのお話は承りましたので、今後の進め方に最大限反映させることができるように努力します」という超役人対応だった。
ところが、今日、母が隣の昇文堂さんと話していたら直接市役所に掛け合った方が良いよ、とのアドバイスを受け、担当の人のところに行ってきたらしい。そこでの話によると、今年度は予算的に買収は難しいという事態は変わらないのだけれども、来年度の予算要求でなんとか予算を取りますよという話だった。早ければ来年の2月頃から補償費の交渉に入ることができそうだ。
この話を信じると、来年度中に予算が決まり、立ち退きをしなくてはならなくなる。にわかに急展開だ。昨日、久しぶりに数カ月前に少し考えたNew Moon Buildingのプランを今日も仕事場でいじっていたのだが、この話にリアリティが出てきたとたんに、アイディア・スケッチのリアリティが失せていってしまったように感じる。
今日は診察に行き、さらに職場で産業医との面談を行い、11月からの復帰を目指して10月調子を整えて下さいという話になった。妻は妻で、休職の期限が11月末まであるということが昨日判明し、また妻も復職しようというモティベーションが少し出てきたらしいし、婦人科の治療も少し効果が出てきたところだ。
なかなか前に進めないと思っていても、コロコロっと事態が展開するときというのはあるものだ。
明日から10月で、大学は新学期なので、先輩が非常勤講師で近いうちに大学に来るだろう。その時に設計について相談してみようと思う。
近所の情報によると魚長さんは10月5日から取り壊し。どうも土地は近所の歯医者さんが買ったとか。
道路の反対側の松屋さんの土地は、都道とのつながりを考えても早急に道路にしたいという話がでているらしい。しかし今日、母が市役所で聴いた話によると、大きな土地の買収が必要があるところは後回しになるとか。なんだか、よく分からないけど、この2,3年でなんとか道路拡幅の決着を付けてしまいたいらしい。
街路樹や舗装など街並みに直接関わるところなど意見を言わせてもらいたい。
芋仙さんやハイジの設計をぜひやらせてもらえないだろうか、欲が出てくる
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