おそらくとても短い期間だったからだと思うが、アメリカから帰国して生まれたときに住んでいた三鷹大沢アパートに戻った時のことは、まったく記憶にない。写真も見たことがない。
幼少期の記憶というものは、やはり記録や両親からの伝聞によって補強されて初めて構成され保持され得るのだろう。幼少時代の記憶がとても鮮明な妻にいつも笑われるが、大学を卒業する頃までほとんど引越しらしい引越しをせずに暮らしてきた彼女は、場所と記憶の結びつきが僕とは比較にならないほどシッカリとしている。成長の過程で同じ場所を訪れ、その都度過去の思い出を上書き更新してきたからではないだろうか。
両親にとっても、アメリカの贅沢な生活から帰国して、日本の最小限住宅のようなアパートに住むのは楽しい思い出ではなかったのかもしれない。
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