二番目に住んだ家は、アメリカのボストンにあるアパートだった。数年住んだけれども、それほど記憶はない。アパートと呼ばれていたけれども、日本語で言うならマンション。外壁がレンガで、大きなプールがあったのを覚えている。
キッチンの排水口にはディスポーザーが付いていて、洗濯物を地下のランドリー室に落とすシューターがあったらしいので、当時の日本では考えられないくらい設備は充実していたのだと思う。きっと父も母もかなりのカルチャーショックを受けたのではないだろうか。当時は1ドル350円時代でアメリカの物質的繁栄は輝かしいものがあっただろう。
室内には毛の長い絨毯が敷かれていてた。蛇腹状で伸ばすとトンネルになる子供用のおもちゃを使って遊んだ記憶があるので、結構広い家だったのではないかと思う。
写真は数年前に現地を訪れて撮ったものだけれど、子供心に大きなビルだと思っていたアパートは、大人になった目から見てもなかなか大きくて立派だ。
写真を見て、不思議に感じるのは、マンションなのにベランダが無いこと。洗濯物を干すという習慣がないのだから当然だけれども。それに僕が30年以上前に住んでいた建物なのに、外壁が驚くほどきれいだ。こうやって今でも、全く荒廃した様子もなく使われ続けているのを見ると、間取りなどにもゆとりのある設計が施されていたのだろう。
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