Monday, October 25, 2010

第一回目顔合わせ@月ビル

日曜日の午後に建築家のTさんに御来宅していただき、施主となる我が家の面々に会っていただく。3時の約束だったのに、慌てて部屋の掃除をしていたら気づかないうちに3時になってしまっていて、大慌てでTさんを迎えに出ることになってしまった。

まずは両親たちの住む2階に上がっていただき、簡単に自己紹介していただいた後に、ポートフォリオを見せて頂く。「のびしろを持つ家」、「見守る家」、「規格住宅プロトタイプ」、骨コレクターさんの家など、数件を説明してもらう。的確で簡潔な説明に、さすがはプロだと感心させられる。作品に共通しているのは、簡潔に作って、可変要素を配置することで、場面や将来の家族の変化に対応できるようにしつらえるというやり方だろう。どれも派手さはないけれど、住み手のことをよく考えて練られた設計になっていると思う。

フォリオを見終わったところで母がお茶を入れてくれ、お茶を飲みながら設計のスケジュールの説明をして頂く。今すぐ設計を開始し、基本設計、実施設計を通常の期間で行っても、仮住まい期間を最短にすると考えると、更地化できるのは平成24年の2月末ということになる。というわけで、平成23年の12月末までに更地化をするという期限が付く今年度予算での保証契約という話はないだろうと言う結論になる。

建設費関連も説明してもらうが、思ったよりもコストが嵩む。5千万~6千万くらいが建築工事費だけで必要になりそうだ。やっぱり鉄骨造かな~。補償金をしっかりもらわないとかなり厳しいな。

グーグルドキュメントを使って家族で共有している新築への希望・要望をまとめたシートを現時点でお渡しすることにして、Tさんに見て頂く。目を通しながらTさんが話をふくらませて、こんな事ができたら良いですね、ということ幾つか雑談的にはなしをする。

更に僕が作成していたプランを父と母に見せて話をする。Tさんのお話だと、RCの壁式構造だともう少し壁厚が必要になりそうだということと、共有部分の廊下は共同住宅の場合120cmの幅員が必要になる場合がある、ということでプランの変更が必要かもしれないらしい。

続いて、現在の月ビルの状況を見てもらう。まずは2階。そして3階。父の手作りの家具やソリウッドの家具、ジョージナカシマの椅子などの写真を撮ってもらう。Tさんはニューヨークにあるナカシマの記念館にサリーさんに連れられて行った事があるらしい。羨ましい。話も通じて、父母が無垢の家具が好きだということをよくわかってもらえたと思う。

そして一階。ひとつづきの部屋を見て広いと言ってくださる。一通り見て、写真を撮って、雑談して終わり。

もう一度、二階に戻って今後の進め方を軽く話しあう。僕とはちょくちょく会えそう。次は1ヶ月後くらいにラフな設計をして模型を作ってプレゼンに来ようということになる。僕は今のところプランを考えるのに少々疲れてしまったので、Tさんにまずは案を作って頂きたいと思う。近々に家具の寸法を測ってお渡しすることにする。

いやー、どんなプランが出てくるか、ドキドキだなぁ。

Friday, October 22, 2010

ホッとする条例について聞く

用地課に続けて、Tさんと都市計画課に行き(同じ階で打ち合わせ机の真ん前)、正式名称、調布市ほっとするふるさとをはぐくむまちづくり条例のことを聞く。


適用対象となった場合に計画上気をつけなくてはならない点は何かを説明してもらう。要点は;
・隣地から50センチメートル以上離れて建てること


・駐輪場の確保→必要に応じてということなのであんまり関係ないかなぁ。


・駐車場の確保!!!戸数の1/3の駐車台数が必要だとか。そして端数は切り上げ。
でもこれに関しては、二世帯住居のような場合は該当しないですよっと窓口で説明してくれた兄ちゃんがちょっと考えてから言い切りよった。いやまじで、これって計画にむちゃくちゃ影響するから、その判断の根拠を教えてくれよ!Tさんもこの対応にはビックリ。慌ててその判断根拠はどこかに書かれているのか、口約束で大丈夫と言われても困る、と食い下がる。兄ちゃんの説明によると、「隔地駐車」という逃げ道もある(要するに駐車場を借りるということ)。計画の大幅変更がやむを得なくなるような状況で無理やり市役所が駐車場を設けなさいというようなことは言えないとのことだった。敷地に余裕がある場合や大規模な集合住宅の場合とは違うだろうということ。
共有部分を容積算定から除外するために確認申請を共同住宅で出した場合、自動的に集合住宅扱いになって、これらの規定がすべて適用されるのではないか。兄ちゃんは大丈夫だと言うけれども一抹の不安が残る。


・ゴミ置き場の設置→これも二世帯だったら不要とのこと。一応ごみ対策課のイトウさんに電話して聞いてみてくださいとのこと。


・緑化。建物を建てた残置の40%を緑化しろという規則があるらしい。これも緩い規定ですよだって。


・手続きの流れ→要するに確認申請を出す前に2ヶ月必要らしい。これはかなり設計期間を圧縮することになりそう。毎月第三火曜日に連絡協議会があって、それに先立つ前の月末までに相談カードを提出すると、協議会の後2,3週間で関係各課が検討、それから更に2週間くらいで協定締結になって確認申請が出せるらしい。


・近隣への説明会あるいは個別説明、というのも必要らしい。建物の高さを半径にして敷地境界線から測った範囲に入る土地の持ち主に説明をして回らなくてはならないのだそうな。うちの場合6件くらいかな。


終わってからTさんと喫茶店で打ち合わせ。設計の工程表を作ってきてくださったのでそれを拝見。保証金の概算額提示から構造を決めて、という流れだと基本設計期間がかなり厳しいことになりそう。やっぱり今年度予算で保証契約をするのはちと無理だな、という結論になる。ホッとする条例も時間を食うし。


僕が考えたラフなプランについても少し話をする。ひどい図面なので恥ずかしかったけれども、真面目に見てくれていてとても嬉しい。共同住宅にして共用部分を容積から除外するということと、四層になるということ、この二つのせいでホッとする条例が適用されてしまうので、欲張り過ぎかな、手間をかけることになり過ぎるかなと恐縮していたのだけど、Tさんは四層にして空間にゆとりを持たせるのは良さそうなアイディアだと言ってくださる。ま、予算の問題がどうなるか心配だけど。


最近の工事単価などについて話して、帰路に着く。

Wednesday, October 20, 2010

魚長さん更地になる。ウワサ・ウワサ


2件となりの魚長さんの建物が一週間ほどかかって取り壊され、更地になった。
近所の噂によると魚長さんは、この土地を売り払って近所のマンションに越されたとのこと。住んでらした御夫婦はそこそこの御高齢だったし、旦那さんは病気もおありだったようなので、自然な選択なのだろうなと思う。

そして噂によると、買ったのは駅前広場になる土地で営業されていた歯医者さんらしい。こちらに移って来て歯医者さんをされるらしい。歯医者かぁ、、、もっと違う種類のお店が良かったなぁ。などと勝手なことをちょっと思う。

間口、奥行ともに我が家と同じくらいの敷地ではないだろうか。この土地に移ってくる歯医者さんがもう一件建てているという近所の建物はヘーベルハウスなので、この土地の建物もヘーベルになる可能性が高い。どんな設計なのか、何か我が家にも参考になることはあるだろうか。ヘーベルで3階建てだったら基礎はどんな感じになるのか、地盤の事など少し参考になるかもしれない。

ウワサによると、地元の文化財と言っても過言ではない、いもせんさんも今年度ようやく、補償契約を結んだとのこと。となると来年の12月までに更地になってしまう。写真を撮っておかなくては。設計したいなぁ、、、

市役所の人が、ここの道路拡幅事業はやや遅れ気味だけれども、市は来年度・再来年度本腰を入れて道路を完成させるつもりでいる、予算も付く、というような話をしていたので、それが本当ならばこれから短い期間でバタバタっと建物が建て替わって、景色も一変するのだろうな。

Monday, October 18, 2010

ほっとする条例?

「調布市ほっとするふるさとをはぐくむ街づくり条例」となにやら長い名前の条例があったことを思い出して、市のホームページをチェックしてみた。


(3)高さが10mを超える建築物の建築(一戸建ての住宅を除く)
(4)階数が地上4階建て以上の建築物の建築


って、今ぼくがチョコチョコ手を動かしているプランは思いっきり該当してしまうじゃないか。


で、この条例が適用の対象となる場合


開発事業者は,周辺住民の私生活を侵すことのないように,次の各号に掲げる措置を講ずるものとする。
(1) 隣地境界線から建築物の外壁までの水平距離を50センチメートル以上とすること。
(2) 屋外階段及び開放廊下等は,防音上有効な措置を施すこと。
(3) 玄関等のドアについては,開閉時の衝撃音を和らげる措置を施すこと。
(4) 窓及び開放廊下等は,目隠しを施す等の措置を講ずること。
(5) 高架水槽,揚水ポンプ,冷暖房機等を屋外に設置する場合は,隣地との距離等を考慮すると
ともに,囲いを設けるなど,防音及び防振に対する措置を施すこと。


だそうな。


うちの土地は近隣商業地域だから、近所もみんな隣地境界線から50cmなんて離れて建っていないのに。
間口が狭いから、隣地境界線から50cmというのはけっこう厳しい。


やっぱり高さ10m超え、一部4階、共同住宅っていうプランは欲張りすぎなのかなぁ。


近隣への説明会もひらかなくちゃならないし、工程に大きく関わってきそうだな。

Friday, October 15, 2010

なんだか急な展開その2

一昨日、母から連絡があり、翌日に市役所の人が用地・建物の補償について相談をしにくると言われたとのこと。なんだか急な話だ。僕も妻も家にはいないので、母と父がとりあえず対応することになった。

これからT先輩の事務所を訪問しようという、少し前に母に電話をしてどのようなことが市役所の人から言われたのかを聞いた。

驚いたことに、先日の話しでは、市の今年度の予算は底をついているので、我が家の用地・建物補償は来年度になりますよ、という話だったのに、なんと市の予算と東京都の補助金を整理してみると、我が家一軒分くらいの補償ならなんとか捻出できるだろうというのだ。

もし今年度の予算でお願いすることになった場合は、今後どのようなスケジュールで事が進むのかという話もあったという。それによると、来年の2月頃に金額の提示と契約の締結。3月中に道路用地部分の土地代金の支払いと、建物保証金の一部を支払い。そして来年度の4月から12月末までに道路部分を更地にして明け渡すという流れになるらしい。

となると、来年の12月までに設計をすべて終わらせて着工の出来るところまで進んでいる必要がある。11月から設計を始めたとしてちょうど丸一年。T先輩の話だと、通常9ヶ月で設計は終わるという話なので無理ではないけれども、、、

そしてさらに驚きなのが、補助金の申請を10月以内にしなくてはならないので、来週中にこの話に乗るか乗らないか、返事をして欲しいというのだ。あまりにもせわしない。

夕食を食べた後、話を聞いた両親からもう一度説明をしてもらう。父は慎重な様子。子供部屋が狭くて年中喧嘩をしているのを見ている母は、少しでも早く新築を、とやや前のめりな感じ。ぼくもT先輩の話を聞いたあとだったので、場合によっては今年度という話もありかな、という気持ちになっている。

この通りの並びでかなり早くに新築までこぎつけられるというのは、他の住民の方達に対してもアピールするのではないか、などと考えてしまう。

その後、家に戻って、物事の急展開に頭がのぼせている感じがしたので、実家に帰っている妻に電話をして頭の整理と沈静化をしようと思う。

一通りのことを漏れがないように文章にして妻にメールをし、読み終わってから電話をくれるようにお願いする。

結論から言うと、僕はちょっと心配なくらい前のめりになっているので気をつけろ、時間に少しでもゆとりがあった方が今病み上がりで復職を前にしている僕と妻にとってはありがたいのではないか、だから今年度という話は断って、予定通り来年度の予算で補償してもらえば良いのではないか、というところに落ち着いた。

まあ、そうだよなあ...

病み上がりで、復職してからもしばらくの間、職務軽減をしてもらうのに、空いた時間を自宅の設計に費やして疲労困憊するなんて、ちょっと話にならない。妻も母親の看病があるし、体調も万全とは全く言えない状態だし、やはり復職を控えている身で肉体的・精神的にゆとりがない。ここははやる気持ちを抑えて、スローペースで行くべきだろうな。

最初の顔合わせ

昨日の午後、代田橋にあるT先輩の事務所にお邪魔してきた。代田橋の駅は新宿からすぐなのに、こじんまりしていて、駅前の浄水場(?)もなかなか風情のある建物+構内。緑の豊富な場所だ。神社の社務所の二階にあるこの事務所はT先輩の設計。道路側のファサードはとても控えめな表情だ。

T先輩に会うのは久しぶり。全然変わっていない。そして驚いたことに同じ事務所のスペースに大学の研究室のOBであるA先輩もいらっしゃった。つい世間話をして時間を費やしてしまった。その間にT先輩が先日旅行していたベトナムのおみやげであるベトナムコーヒーを淹れてくださった。スキムミルクを入れて甘くて香りのあるコーヒーを飲みながら、相談というか設計の依頼の件をお話した。

僕自身も設計はするのだが、いかんせん病み上がりで、仕事とは別に自宅の設計をするなどという余裕はちょっと今は無い。そこで設計はできるだけやりたいけど、責任の伴なう仕事はT先輩にお願いしたいという虫の良い話をする。要するに、結構専門的知識があって細かいことまでうるさく口を出す厄介な施主というような形だ。T先輩は快諾して下さり、できるだけ共同設計という形にしましょうと言ってくださる。ありがたい限りだ。

その他、設計の標準的な流れ、必要な期間などを説明してもらい、こちらからも今分かっている道路拡幅に伴なう用地・建物の補償のはなしをする。T先輩の話では9ヶ月あれば着工まで辿りつけるということだったが、こちらとしては、出来る限りゆとりをもって進めたいなと思う。

T先輩に設計を依頼したいと考えた理由も御説明する。設計を依頼する理由というのは、どのような役割を期待しているのかということと表裏一体なので、とても大事だろうと思う。今後徐々に肉付け出来ればと思う。

T先輩はとにかく、設計の具体的な話に入る前に、施主となる僕の家族にお会いして、お見合いというか、この人なら設計を安心して任せることができると感じてもらうのが一番大事だとおっしゃり、まずはそのお見合いの日取りの候補を決めることにする。

雑談も含めて一通りのことを話したら、予定していた時間をかなり超過してしまった。2時間以上話していたのではないだろうか。

帰る前に先輩の設計された社務所+事務所の建物をぐるっと回って紹介して頂く。道路と反対側に神社の境内があり、こじんまりした広場がある。こちら側から見ると、この建物と広場の関係がとても心地良い。ぜひ社務所が広場に向かって開いて使われているところを見てみたい。道路に向かって下がる形の片流れの屋根のせいで、境内側から見ると建物のボリュームは意外と大きい。二階にある事務所の大きな窓に境内の樹木が映り込んで伸びやかに感じられる。

後から先輩のかつて働いていた難波先生の事務所の「箱の家」シリーズの写真を見て、先輩の事務所の佇まいと共通するものを感じた。学生の頃は生粋のコルビュジエアンだった先輩からすると、ディテールの線が綺麗で、難波事務所の影響を強く受けたのだろうなと思う。

Wednesday, October 13, 2010

T先輩への相談の連絡

昨日、遂に建築家であるT先輩にこのようなメールを送った。まだ返事はないけれども、近いうちにお会いして相談できると思う。
これまではまだ家族の中でしかほとんど話していなかったけど、第三者に正式に相談をすることになって、また一歩新居に向けて歩みを進めたのだと実感する。


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T様

先程はご連絡ありがとうございました。
今週の木曜日の午後は事務所にいらっしゃいますか?
もしお時間があるようでしたら、小一時間ほどお邪魔したいのですが。

で、相談の内容なのですが、、、

実は現在僕と妻と、父と母と甥っ子二人、犬一匹で暮らしている家が、
近々、前面道路の拡幅に伴って建て替えなくてはならなくなりそうなのです。

出来れば僕が自分で設計したいのですが、病み上がりということもあるし、
経験もないのでとても無理だと思うのです。

不確定な要素がまだ多すぎて、あやふやな話なのですが、
僕個人としては(まだ妻にしか相談はしていません)、Tさんに力を貸して欲しいと
考えています。

今週の木曜日はちょうど午前中、新宿に行く予定なので、伺えたらと思ったのですが、
他の日でも僕は基本的に暇なので、もし木曜日事務所にいらっしゃらないようでしたら
ご都合の良い時間をお知らせ下さい。

どうぞよろしくお願いします。

K

Thursday, October 7, 2010

四番目の家・東京天文台官舎7号

三鷹大沢アパートの後に住んだのは、父の働く東京天文台(現在は国立天文台)の官舎だった。大沢アパートのすぐ崖を登ったところである。幼稚園にはここから通ったし、同じ並びに同年代の友達が3人もいたのでここで暮らした日々は良く覚えている。
庭には父が作った池があり、裏には竹林があった。初めて犬を飼い始めたのもこの家に住むようになってからだ。庭付きの家に住むと犬を飼いたくなるものなのだろうか、友達の家でも同じように雑種の捨て犬をもらってきて飼っていた。
家にまつわることは色々と覚えているのだが、残念ながら家の間取りがどうしても思い出せない。アメリカから持ち帰った絨毯とカーテンが使われていたらしいことは分かるのだけれども。写真も今のところ見つからない。それほど大きな家ではなかったように思う。
とにかく天文台の構内というだけあって、自然が豊かだった。管理がおおらかだったのだろうが、家の前の空き地でヤギを飼っている人もいて、山羊乳を分けてもらったことがある。子供にとっては遊び場が無限にあるような場所で、放って置かれると友達と何時までも草むらの中や森の中で遊んでいた。
この家の建っていた場所を最近訪れたことはないけれど、天文台が構内に官舎を持つことを止めることになり、だいぶ前に取り壊されて更地になったと聞いた。ネットの地図で航空写真を見ると、木が茂って小さな森のようになっている。家の前の道路だけが残っている。

Wednesday, October 6, 2010

魚長さん、取り壊し

今日から、隣の隣に建つ元魚屋さんの魚長さんが取り壊しを始めた。旦那さんの健康状態があまり良くないらしく、そのことを勘案して先に土地の買収などが進んだためらしい。魚長さんは、僕が西調布に引越してきたとき、既に閉店されていて、ずーっとシャッターが降りたままのお店だった。我が家と魚長さんの間の昇文堂さんが建て替えるときに、旦那さんと初めてお会いして、少しお話をしたのを覚えている。「最近じゃ魚を売る商売なんてのは採算がとれないんだよ。」とこぼしていたのが印象的だった。木造二階建ての建物の正面には紺色のタイルが貼られた大きな壁があり、金色の文字で「魚長」と書かれている、昔ながらの商店の店構えだ。古くからある建物が取り壊されていくのが寂しく感じられるのと同時に、いよいよ、この通りにも道路拡幅事業の波が押し寄せてくるのだという、期待のような不安のような複雑な感慨を覚える。今日も仕事場で少し新居について設計を考えた。

Monday, October 4, 2010

三番目の家・帰国して大沢アパートに戻る

おそらくとても短い期間だったからだと思うが、アメリカから帰国して生まれたときに住んでいた三鷹大沢アパートに戻った時のことは、まったく記憶にない。写真も見たことがない。
幼少期の記憶というものは、やはり記録や両親からの伝聞によって補強されて初めて構成され保持され得るのだろう。幼少時代の記憶がとても鮮明な妻にいつも笑われるが、大学を卒業する頃までほとんど引越しらしい引越しをせずに暮らしてきた彼女は、場所と記憶の結びつきが僕とは比較にならないほどシッカリとしている。成長の過程で同じ場所を訪れ、その都度過去の思い出を上書き更新してきたからではないだろうか。

両親にとっても、アメリカの贅沢な生活から帰国して、日本の最小限住宅のようなアパートに住むのは楽しい思い出ではなかったのかもしれない。

Saturday, October 2, 2010

二番目の家・225 Walden Streetのアパート(Boston)

 二番目に住んだ家は、アメリカのボストンにあるアパートだった。数年住んだけれども、それほど記憶はない。アパートと呼ばれていたけれども、日本語で言うならマンション。外壁がレンガで、大きなプールがあったのを覚えている。


キッチンの排水口にはディスポーザーが付いていて、洗濯物を地下のランドリー室に落とすシューターがあったらしいので、当時の日本では考えられないくらい設備は充実していたのだと思う。きっと父も母もかなりのカルチャーショックを受けたのではないだろうか。当時は1ドル350円時代でアメリカの物質的繁栄は輝かしいものがあっただろう。
室内には毛の長い絨毯が敷かれていてた。蛇腹状で伸ばすとトンネルになる子供用のおもちゃを使って遊んだ記憶があるので、結構広い家だったのではないかと思う。
写真は数年前に現地を訪れて撮ったものだけれど、子供心に大きなビルだと思っていたアパートは、大人になった目から見てもなかなか大きくて立派だ。


写真を見て、不思議に感じるのは、マンションなのにベランダが無いこと。洗濯物を干すという習慣がないのだから当然だけれども。それに僕が30年以上前に住んでいた建物なのに、外壁が驚くほどきれいだ。こうやって今でも、全く荒廃した様子もなく使われ続けているのを見ると、間取りなどにもゆとりのある設計が施されていたのだろう。

Friday, October 1, 2010

最初の家・三鷹大沢アパート

これまでに住んできた家についてメモ的に書き残しておこうと思う。


僕が生まれて初めて住んだ家は、三鷹市大沢、野川沿いの都営住宅である。1歳になる頃に、父の仕事でアメリカに住むことになったので、この都営アパートの記憶は全くない。今思えば、団地が輝かしい文化であった時代ではないだろうか。
お風呂の水を溢れさせて階下の住民に怒られたというエピソードを母から聞いたことがあるので、お風呂もあったわけだ。今でも都営三鷹大沢アパート27号という建物が残っているので、27号という名前から想像すると、きっと新しい鉄筋コンクリート造のアパートがたくさん立ち並んでいたのだろう。中央線からも京王線からも遠く離れた陸の孤島のようなところに大規模な団地を作ったのは、モータリーゼーションを素朴に信じていたからなのだろうか。
団塊の世代である両親の子供、つまり団塊ジュニアとして公共機関によって大量供給されたアパートが最初に住んだ家というのは、世代的に考えるととてもティピカルな経験だろうと思う。